今回のイベントはいつもと違った楽しみに、その日が来るのを待っていた。チキンラーメンというと、
僕がちょうど小学生の頃、子供達の間で大変な人気だったことを覚えている。今ではなんだかんだと様々な意見が交わされ、本が出版され、
テレビ番組にもなるラーメンだが、これほど取り沙汰される食べ物も他にはない。
そのインスタント版、第1号がチキンラーメンになるわけだが、今では数限りない様々なインスタントラーメンや、
カップめんがコンビニの棚を賑わしている。
チキンラーメンが発明されたのが1958年だったとは、このインスタントラーメン発明記念館に来て初めて知り、驚いた。
興味を覚えて
ウィキペディアで調べてみると、
サッポロ一番が1966年、同みそラーメンとゴマラー油の出前一丁は1968年の発売らしい。チキンラーメンを発明した、台湾出身の日清食品創業者、
安藤百福(あんどう・ももふく)はその時、48歳だったという。記念館内の展示室には、その開発をしたとされる小さな小屋が再現されており、
訪れる者に『ほおーっ』と感嘆の言葉を上げさせる。
そろそろ時間になったので、2階の指定場所に集合した。入り口で、指導員の注意を聞き、
見学者用チキンラーメン製造工場に入った。全員おそろいの赤いエプロンとひよこ印の三角巾をかぶると、
なにやら心がウキウキしてきた。
作業手順は、
記念館のホームページ
に詳しいので繰り返さないが、各作業に入る前には生徒達にざっとビデオを見せ、ポイントは指導員が説明してくれた。2人1組が5組の編成で、
各テーブル10人に指導員が1人ついていた。
どのグループも家族連れで、小学生くらいの子供が混じっていた。後から考えると、我らのようなおじさんグループは珍しかったのかも知れないが、
そのときはそんなことを考える余裕もなく、はしゃいでいた。
“この頭巾どうやってかぶるの?”
“三角に折るんですよ”
“小学校の家庭科の時間を思い出しますね”
“ああ、ほんとだ。こんなことやった、やった”
工程の中で、麺を蒸すのと揚げるところはさすがに火を使うからだろう、やらせてもらえず、
ガラスの向こう側で指導員達が受け持ちの生徒の麺を蒸し、ゆでるところを見るしかなかった。
味付けも調整済みの濃縮スープをドチャッと麺の上にかけて絡ませるだけ。そりゃまあ、企業秘密だわな。
“ぐるぐる回すと面が絡まってしまうので、5本指で左右によく混ぜてくださあい”
と指導員。蒸した麺への味付けが終わると、生徒番号をポンチで打った麺揚げ用の特別なステンレス製器にその麺をぽんと落とす。
器の底面は真ん中が盛り上がっており、揚がった麺に“卵ポケット”が出来るらしい。僕が覚えているチキンラーメンには卵ポケットなぞなかった。
これも気になってウィキで調べようとしても出てこず、グーグルで検索すると“うまく行かない”というブログ記事がやたら出てきた。
次に食べるときは是非僕も試してみよう。
何はともあれ、自分用のラーメン袋も童心に帰ってデザインし、楽しい体験ツアーであった。実際に体験することで、
読み物を読んだり映像を見たりする時とは違った脳の部分が活性化され、印象に残るのだろう。
指導員の取りまとめ役女性の最後の言葉が印象に残った。正確な言葉は忘れたが、御容赦いただきたい。
“安藤百福によると、創意・工夫で克服できないことはありません”