注:本記述は2007年以前の分析で得られた情報を元にしており, それ以降に判明した事実や新たな知見は反映されておりません.
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事例ID
CA0000615

事例名称
原子力船むつ放射線漏れ

事例発生日付
1974-09-01

事例発生地
 青森県沖太平洋上

事例発生場所
 尻屋岬東方800km

事例概要
 日本初の原子力船「むつ」が、青森県尻屋岬東方800kmの試験海域での出力実験で、原子炉の出力を約1.4%まで上げた時、主として高速中性子が遮蔽体の間隙を伝わって漏れ出る「ストリーミング」と呼ばれる現象によって、放射線漏れとなり、警報ブザーが鳴った。マスコミは「原子力船むつ、放射能漏れ」と大きく報道した。地元の住民達は、放射線漏れを起こした「むつ」の安全性を疑い、大湊定係港(母港)への帰港に反対した。

事象
 日本初の原子力船「むつ」が、青森県尻屋岬東方800kmの試験海域での出力実験で、原子炉の出力を約1.4%まで上げた時、放射線増大の警報ブザーが鳴った。マスコミは「原子力船むつ、放射能漏れ」と報じた。地元の青森県、むつ市および青森漁連は、放射線漏れを起こした「むつ」の安全性を疑い、大湊定係港への帰港に反対した。

経過
 原子力船「むつ」は、「原子力船第1船開発基本計画」のもと、特殊貨物の輸送及び乗組員の養成に利用できる原子動力実験船として建造された。
 建造にあたって、大手造船7社からの応札を期待したが、予算が低すぎて入札は不調に終わった。費用削減のため、原子炉を米国バクコック・アンド・ウイルコックス社製にするなどの検討をしたが、建造費用に差がないと判断し国産の原子炉となった。そして(社)日本造船工業会の斡旋の結果、船体を石川島播磨工業(株)、原子炉を三菱原子力工業(株)に分割発注となった。
 図1に「むつ」の配置説明図と仕様を示す。
 1968年11月27日、石川島播磨工業の東京第2工場で船体部が起工され、翌年6月12日に進水、1970年7月13日に船体部が完成し定係港のむつ湾大湊港に回航された。
 1972年8月25日に原子炉部が完成、9月4日に核燃料が装荷された。いよいよ船舶用炉試運転の段階をむかえ、試運転計画の発表を行なったが、予期しない地元住民の反対にあい、低出力で原子炉を運転して行なう予定の係留試験および湾内試運転の実施は不可能となってしまった。政府および日本原子力開発事業団は、地元関係者と折衝を重ねた結果、洋上で原子炉の試運転を行なうことの了解を得た。
 1974年8月26日、一部地元住民による反対があったものの、出力上昇試験のため大湊定係港を出港、8月28日に青森県尻屋岬東方800kmの試験海域にて、初臨界を達成した。
 9月1日の17時頃、出力実験で原子炉の出力を約1.4%まで上げた時、放射線増大の警報ブザーが鳴った。この事故を知ったマスコミは「原子力船むつ、放射能漏れ」と報じた。この事故が起きるまで一応了承の立場をとっていた住民も、この事故発生を機にかなり反対側にまわったこともあり、地元の青森県、むつ市および青森漁連は、放射線漏れを起こした「むつ」の安全性を疑い、大湊定係港への帰港に反対した。
 10月14日に、政府、青森県、むつ市および青森漁連の4者間で「原子力船「むつ」定係港入港および定係港の撤去に関する合意協定書」を締結、翌日15日にようやく大湊定係港に帰港した。

図1(クリックで拡大)


原因
  1. 放射線漏れの原因
     放射線漏れは、原子炉上部の遮蔽リングで起こった。主として高速中性子が遮蔽体の間隙を伝わって漏れ出る「ストリーミング」と呼ばれる現象によって、放射線漏れとなり、警報ブザーが鳴った。当時我が国には、遮蔽設計の実例が少なく、経験が重要なこの分野における本来の遮蔽設計専門家がほとんど育っていなかった。設計にあたって、計算にのり難い複雑な形状の遮蔽材の遮蔽能力についての判断力が足りなかった。また、この設計を米国ウエスチングハウス社に確認してもらい、「ストリーミング」の可能性を指摘されていたが、なんら反映されなかった。
  2. 放射線遮蔽効果の確認不足
     船体と原子炉が分割発注されたことで、遮蔽設計への取り組みが甘く、総合的な遮蔽効果確認がおろそかになっていた可能性が考えられる。
  3. 「放射線漏れ」を「放射能漏れ」と報道した。
     放射線漏れに関して、マスコミが「放射能漏れ」と報道したため、ホタテ貝への汚染の影響など「放射能漏れを引き起こした原子力船」のイメージを植え付けてしまった。公の場所でも「放射能漏れ」の言葉のまま調査検討が続き、住民の反対運動も激しくなり、新定係港の決定の遅れなどで、開発プロジェクトが大幅に遅れてしまった。


対処
 「むつ」放射線漏れ問題調査委員会が専門的な調査検討を始め、1975年5月13日、調査報告書を政府に提出した。報告書では、政策、組織、技術及び契約の4点について問題点を指摘するとともに、「むつ」は技術的にみて全体としてはかなりの水準に達しており、適切な改修によって所期の目的を十分達成し得るものであるとの結論がなされ、今後の開発の進め方について6項目の提言を行った。
 原子力委員会は、1975年6月10日、「むつ」からの放射線漏れは、極めて微量であったとはいえ、これを一つの契機として原子力行政について国民全般に広く不信感が発生したことは極めて遺憾として、同調査委員会の調査報告及び提言を貴重な見解として尊重するとともに、今後の施策にできるかぎり反映させていく旨の見解を発表し、あわせて、「むつ」の開発計画を継続すべきこと及び「むつ」の改修に当っては開発主体である日本原子力船開発事業団の技術水準の向上をはかること、国の責任において十分な審査を行うこと等の前提条件を満たすことが必要である、等の考えを明らかにした。  1975年3月18日、原子力委員会は、原子力船開発の今後のあり方、原子力第1船の開発計画、日本原子力船開発事業団のあり方等について抜本的な見直しのため、「原子力船懇談会」を設置した。
 同年9月11日、同懇談会は、「むつ」を初期の基本方針に則して完成させ、国産技術による原子力船建造の貴重な経験を積むと同時に、実験航海を通じ原子力の船舶への適合性及びその安全性に関する試験研究を行い、各種データの蓄積を図るとともに、機器の改良試験を行うなど「むつ」を効果的に活用すべきであること、将来の実用化に備えるため「むつ」の開発と併行して基礎研究、改良舶用炉・開連機器等舶用炉プラントとしての広範囲な研究開発等を進める必要があること、等の報告書をとりまとめた。
 これを受けて原子力委員会は、1975年9月23日、将来の原子力船実用化時代に備え、我が国としては世界の大勢に遅れることのないようエネルギー政策のみならず、造船・海運政策の観点から「むつ」の開発を積極的に推進することとし、そのため、現行の「原子力第1船開発基本計画」を原子力船の実用化に至るまでの研究開発との関連を考慮しつつ改訂すること、1976年3月31日までの「日本原子力船開発事業団法」を必要な期間延長すること等について決定した。
 一方、政府は、「むつ」の安全性の確保において責任の所在を明確にすべきであるとの指摘に応えるため、科学技術庁と運輸省は合同して、専門家からなる「むつ」総点検・改修技術検討委員会(1975年8月12日決定)を開催し、日本原子力船開発事業団が策定する「むつ」の総点検・改修計画についてチェックし、この計画は妥当であり、この実施にあたっても「むつ」周辺環境の安全は十分保持し得る旨の第1次報告書をとりまとめた。
 政府は、これら委員会等の意見を踏まえ、1975年12月12日、原子力船関係閣僚懇談会において「むつ」の開発を継続すべきことを決定した。

対策
 1978年から1982年にかけて、長崎県佐世保において改修工事等を実施した。
 原子炉遮蔽設備の改修内容は以下のとおり(図2)。
  1. 上部1次遮蔽体を中性子の吸収の良い蛇紋岩コンクリートに変更する。
  2. 二次遮蔽体の鉛とポリエチレンを重コンクリートに変更する。
  3. 圧力容器フランジ部に中性子吸収の良いクリソタイル保温材を設ける。
  4. 圧力容器蓋部に中性子の吸収の良い水素化ジルコニウムを設ける。
  5. 格納容器外の二重底上下部にポリエチレンの遮蔽体を新設する。
  6. 格納容器下部に蛇紋コンクリートとシリコンを用いた遮蔽体を新設する。


図2(クリックで拡大)


知識化
  1. 事故への適切な対応には、事故内容の正確な伝達が不可欠である。
     原子力船「むつ」が起こした事態を「むつ放射線漏れ」と正確に把握していたにもかかわらず「むつ放射能漏れ」でよしとした判断が立法にも行政にもあった事実は不思議である。
  2. 一旦伝わった情報のイメージは容易には変わらなく、影響が続く。とくにマスコミの影響は大きい。1999年にテレビ局が行なった「狭山ダイオキシン報道」(せん茶からの検出結果を野菜から高濃度のダイオキシンが検出された、との報道で野菜の価格暴落などの損害を受けた)なども同様である。
  3. 業務の分割はその接点で問題が発生する可能性がある。


背景
 当時、世界の造船・海運界においては、拡大する貿易量に対処するため、船舶の大型化、高速化を図る傾向が著しく、これに必要とされる高出力推進機関としては、在来推進機関では消費燃料の増大などの点に問題が生じるために限界が予想され、また、石油の国際的需給問題からも原子力船の実用化に対する期待は大きかった。
 原子力船の実用化のためには、在来船と経済的に十分競合でき、かつ安全性、信頼性が十分である原子力船の技術開発に努めることはもとより、原子力船の安全に関する国際基準の制定、出入港及び航行の自由のための制度確立等の諸問題を解決しなければならない、としていた。
 造船海運国の日本として、将来に予想される原子力船時代に備えて、原子力船の研究開発を着実に進めていくことが必要であるばかりでなく、実用化を促進するために原子力船の安全性等に関する国際的な基準の早期確立に積極的な役割を果すべきである、と考えていた。
 この背景のもと、原子力船「むつ」の研究開発は、1963年8月に日本原子力船開発事業団を設立するとともに、「原子力第1船開発基本計画」に沿って進められていた。

よもやま話
 試作した原子炉の最初の出力実験での、放射線漏れは設計不良が原因であった。放射線が漏れたため、ただちに出力を下げたが、このことをマスコミが「放射能漏れ」と報道したため「むつ」が「放射能を撒き散らす船」のような印象を与え、その後の開発プロジェクトの進捗に大きく影響を与えた。遮蔽改修工事実施後1983年には新定係港の関根浜港が決まり、再び出力上昇試験、海上試運転の結果1991年2月我が国初の原子力船として完成した。ウラン235約4.2kgを燃焼し(石油なら5千トン必要)、合計約82,000km(地球2周以上)を原子動力で航行し、1992年にその役目を終え廃船となったが、西ドイツのオットーハーン号、米国のサバンナ号などはとっくに実験を終了しており、また原子力船は何10万トンという大型船でないと経済性が成り立たないとあって、商業用の原子力船の開発計画はなく、足掛け25年、開発費1,200億円以上を費やしたこのプロジェクトの意義は何だったであろうか。ただ、「むつ」放射線漏れ問題調査報告書は、単に放射線漏れの直接原因のみならず、巨大プロジェクトのあり方にも言及している点が評価できよう。

情報源
 「むつ」放射線漏れ問題調査委員会:「むつ」放射線漏れ問題調査報告書 原子力委員会
月報 1975.5 Vol.20 No.5

備考
 放射能漏れ報道で原子力船むつ安全性問題視

分野
機械

データ作成者1
張田 吉昭 (有限会社フローネット)

データ作成者2
中尾政之 (東京大学)