失敗事例

事例名称 日本航空機無許可出発トラブル
代表図
事例発生日付 2005年03月01日
事例発生地 北海道、新千歳空港
事例発生場所 新千歳空港
事例概要 報道各社によって日本航空ジャパンの航空法違反について、大きく報道された。1ヶ月も航空事故に準ずるトラブルの国土交通省への報告が遅れたためである。日本航空ジャパンの安全推進組織が十分に機能していないとして、国土交通省は日本航空ジャパン運航本部長に対し「日本航空ジャパン1036便に係わる指示違反について(厳重注意)」を出していた。
事象 日本航空ジャパンの安全推進組織が十分に機能していないとして、国土交通省から日本航空ジャパン運航本部長に対し「日本航空ジャパン1036便に係わる指示違反について(厳重注意)」が出された。
3月1日、報道各社によって大きく報道された。
経過 2005年1月22日、新千歳空港は夜間の雪で視界が悪く、2本の滑走路のうち、1本が除雪作業のため閉鎖されていた。20時25分新千歳発羽田行きの日本航空ジャパン1036便(ボーイング777-200型機、乗員乗客211名)は、その除雪作業のため、スポット(駐機場)で待機していた。定刻より35分遅れの21時頃、管制官が同機に滑走路に進入して待機するように指示した。滑走路に進入し離陸準備確認作業を終えた同機は、21時16分頃エンジンの出力を上げて離陸滑走を開始した。管制官がレーダーで同機が無断で離陸滑走を開始したことに気付き、同機に緊急停止を指示した。同機は急制動をかけて、離陸開始地点から約1000m先に停止した。このときようやく管制官から、離陸許可を得ていないことに気付いた。乗員乗客に異常がないことを確認して離陸した。
同滑走路上には、約2分前に着陸した全日空1717便(エアバスA320機、乗客115名)が、着陸後速度を落としながら走行していたが、1036便が停止した地点から約1km離れており、幸い衝突事故は免れた。
1036便の機長は、運航終了後、機長報告書を日本航空ジャパン運航本部長に提出した。運航本部では危険な状態でなかったとしてから国土交通省への報告はなされなかった。
2月25日、国土交通省から日本航空ジャパン運航本部長に対し「日本航空ジャパン1036便に係わる指示違反について(厳重注意)」が出された。
3月1日、報道各社によって大きく報道された。
原因 1.管制指示を無視して離陸しようとした原因
・管制指示を受けていることを忘れたためであるが、使用可能な滑走路が片方のみと通常と異なる状況であったこと、出発予定時刻を過ぎていたことが心理的に働いたと考えられる。
・管制とのコミュニケーションの不確実さ
2.国土交通省への報告がなされなかった原因
・結果的に無事であったので、機長からの報告があったにも拘らず、できるだけ内部処理で済ませたいとの思惑が働いている。
・航空という安全を最も重要視すべき分野でありながら、安全確保に対する認識が組織ぐるみで低かった。
対処 日本航空ジャパンの対処は以下のとおり。
1月23日、運航本部長は、管制指示に従わなかった点について再教育が必要として、機長と副操縦士を3~7日間の業務停止処分を決定。翌日24日にかけて機長への聞き取り調査を実施した。
対策 国土交通省は、2005年3月17日付けで、日本航空インターナショナルには「事業改善命令」、日本航空および日本航空ジャパンには「警告」の処分を出した。
これを受けて、日本航空グループは、「安全なフライトを提供することは、公共交通機関であるJALグループの社会的責務です。この最も重要な使命達成のための基本的な手順や連絡を怠ったことを、お客様はじめ皆様に心よりお詫び申し上げます。安全運航はJALグループの存立基盤であり、航空会社として最も重要なことです。私たちは今回の処分を真摯に受け止め、各グループ社員が原点に戻って安全意識の再確認を行い、お客様の安心と信頼を取り戻していくために、一丸となってあらゆる努力を行ってまいります。」と述べ、2005年4月以降の役員体制の変更を発表した。
離着陸時や滑走路進入時の管制指示については、管制官の指示内容の復唱およびコックピットで機長と副操縦士が、管制からの指示内容を、相互に確認しあう手順を運航規定に盛り込んだ。
知識化 1.通常と異なる場合には、事故が起こる危険性が高くなる。
2.事故の実被害がないと、それが重大事故の予兆であっても、重大視されない。
3.事故への対応や対策は組織の内部のみで行われがちとなる。
背景 日本の航空会社(客席数が100または最大離陸重量が50トンを越える航空機を使用する会社)において、旅客の死亡に至る航空事故は、1985年8月の日本航空墜落事故以来20年間発生していなかった。
新規航空会社の進出など競争激化のなか、日本航空は、2001年11月に旧日本航空(JAL)と旧日本エアシステム(JAS)が、統合計画を発表、2002年10月に持ち株会社「日本航空システム」を設立。JALとJASは持ち株会社の子会社になった。2004年4月、「JAL」を「日本航空インターナショナル」、「JAS」を「日本航空ジャパン」に変更、両便名を「JAL」に統一。同年6月に持ち株会社の名称を「日本航空」に変更していた。
また、1036便の事故前の2004年12月13日、ボーイング747型機(貨物機)の主翼下の主脚装置に旅客用の部品(使用不可の)が取り付けられていることを把握しながら、緊急性の認識が甘く、担当技術部門での上司と担当者間の適切な連絡・確認がなく、正規部品への交換が1ヶ月以上経過し遅れた、という事例があった。
再編や合理化のなかで、安全に対する職場風土やトップの「安全」に対する意識はどうだったのか。特にこの業界においては「安全は企業経営そのもの」のはずであるが。
後日談 報道の10日後、2005年3月11日18時頃、ソウル(仁川空港)発東京行き日本航空インターナショナル954便(ボーイング767型機)が、乗員10名乗客231名の計241名を乗せて、離陸のため滑走路手前で待機していた。管制より重ねて「待機せよ」という指示があったが、これを同機が「滑走路へ進入して待機せよ」と誤認し、滑走路に進入したため、同滑走路に着陸すべく進入を行っていた他社機に対し、管制官は進入をやり直すよう指示した。1036便とほとんど同様なミスであり、当時、組織全体に蔓延していた現象と判断せざるを得ない。
よもやま話 2008年2月16日午前10時半頃、新千歳空港で、日本航空の羽田行き502便(ボーイング747-400型機、乗員乗客446名)が、管制官の離陸許可を得ずに、滑走を始めた。滑走路には着陸したばかりでターミナルに向けて走行中の日本航空関西空港発札幌行き2503便(MD-90-30型機、乗員乗客126名)がいたので、レーダーで離陸滑走を始めた502便に気付いた管制官は同機に「離陸中止」を指示し、衝突を回避した。同じ空港、降雪による片方の滑走路の閉鎖、予定時刻の遅れ、そして同じ航空会社と、2005年1月22日と瓜二つの状況が再現されている。原因は国土交通省航空・鉄道事故調査委員会が調査中であるが、未だに本事例に対する根本的対策が取られていないように思われても仕方がない。航空業界の競争激化のなか企業合併や人員削減などの合理化が進められているが、一連の事故と関係があるのではないかと考える者もいる。
シナリオ
主シナリオ 価値観不良、安全意識不良、価値観不良、組織文化不良、組織運営不良、管理不良、不注意、注意・用心不足、誤判断、誤認知、使用、運転・使用、定常操作、手順不遵守、管制官無視、不良行為、規則違反、誤対応行為、自己保身、組織の損失、社会的損失、起こり得る被害、潜在危険
情報源 http://www.jal.co.jp/other/info2005_0317_2.html
http://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h17/hakusho/h18/index.html
日本経済新聞、2008-2-17
社会への影響 JALの信頼失墜
備考 事例ID:CZ0200709
分野 その他
データ作成者 張田 吉昭 (有限会社フローネット)
畑村 洋太郎 (工学院大学)