失敗事例

事例名称 車両デッキへの海水流入でフェリーが沈没、852名死亡
代表図
事例発生日付 1994年09月27日
事例発生地 フィンランド沿岸
事例発生場所 海上
事例概要 1994年9月27日、エストニア、タリン発スウェーデン、ストックホルム行きエストニア号(バルト海のフェリー)が、運航中、高波に襲われ沈没した。船首ドア・ロックの欠陥のため、車両デッキに海水が流入したことが原因。乗客乗員852人が死亡した(生存者137人)。就寝中の時間帯であったため、助かった人々は若い男性がほとんどで、体力のない高齢者や子供の多くは船内にとりのこされ、溺れ死んでいった。
事象 1994年9月27日午前2時過ぎ、エストニア号はフィンランド沿岸運航中、高波に襲われ、開いた船首ドアから車両デッキに海水が流入した。アラームが鳴るのが遅かったため、発見が遅れ、気づいた時には船は深く沈み始めていた。多くの人が船内にとりのこされたまま溺れ死んだ。船首ロックに不具合があった模様。
経過 1994年9月27日午前2時過ぎ、エストニア号はフィンランド沿岸運航中、高波に襲われ、ロックの不具合のため開いた船首ドアから車両デッキに海水が流入した。エストニア号が沈没する5分前になって初めて、船員および乗客に異常を知らせるアラームが鳴ったが、時すでに遅く、船は深く沈み始めていた。船体が急激に、おそらくは30度以上の急角度で傾き始めた。多くの人にとっては船室で寝ている時間で、跳び起きて傾く床をはって船室から抜け出すには、相当の体力と反射神経が必要だった。船が傾斜したため、ライフボードの大半は下に降ろすことができず、ほとんどの人々が船内にとりのこされたまま船は沈没した。船から脱出した者は、ライフベストやライフボード、船に頼りながら漂流していたが、数十名はヘリコプターで救出される前に凍え死んだ。
原因 スウェーデン国家海事委員会のステンマルク長官は30日、記者会見で、事故前に船首のドアが開いたままで、そこから車両デッキに海水が流入したことが沈没原因であると語った。 その後の調査報告では、船首ドアのひさし部分の設計が非現実的なものであったため、ロックの強度が十分でなかったという。また、ロック部分のメンテナンス不足、運航速度が通常より高速であったこと、船員の対処が遅かったことも指摘されている。
対処 捜索に当たったフィンランド当局は、事故当日85人の遺体を収容したが、824人がなお行方不明だった。バルト海沖合はこの季節、風速が常時毎秒20メートル以上という強風で捜索は難航。沈没場所海域に水中自動カメラやソナーを沈め、沈没した同号の位置の確認と事故原因究明に励んだ。
対策 同型のフェリーは世界で約4500隻が運航しており、国際海事機関(IMO、本部ロンドン)は同型フェリーの安全性再検討を決定、日本でも運輸省が同型船の立ち入り検査を実施。
知識化 万が一の事態を考慮して対処する。万が一の事を考えて安全対策を立て、事故が起きても被害を最小限にすることが重要。今回は、事故が起きてもアラームの警報が遅れたり、ライフボードが使用できなかったなど、安全対策に不備があった。
背景 エストニア号はフィンランドの船会社からエストニア政府に売却され、ソ連から独立した1991年末ごろから北欧三国とエストニアを結ぶフェリー運航が始まり、マイカーで行ける気軽な旅の足としてかなりのブームになっていた。1992年にタリン-ストックホルム路線に就航。1994年5月にタリン路線に参入したフィンランドの観光船会社の話では、ヘルシンキ発の便は夏の間は毎日平均1000人以上の乗客を集め、ドル箱路線となる。同社によれば、「ソ連時代はなかなか行けなかった所。一度は見ておきたい」という北欧の人々の好奇心がブームを支えていた。ソ連潜水艦隊と中立国のフィンランド、スウェーデン海軍が息をひそめて対峙(たいじ)する冷戦の前線だったバルト海は、ソ連崩壊後3年で、一般庶民が最も手軽に行ける外国への観光ルートへと変わった。北欧からの旅行者には、物価の安いエストニアでの買い物も楽しみ。エストニア号の乗客はスウェーデン人が500人以上。今回の被害者は大半は観光客で、気軽な観光や買い物を楽しんだ後の惨劇だった。
後日談 2000年11月27日から12月6日までの間、ロンドンの国際海事機関(IMO)本部において海上安全委員会(MSC73)が開催された。会合では、海上人命安全条約(SOLAS)の改正について多くの採択案件が審議された。航行設備の設置基準、航海の安全に関する措置等が規定されているSOLAS条約第V章の全面的な見直しが行われ、航行設備の設置基準の機能要件化、現行強制設備の設置基準の見直しおよび新規航行設備の追加等が行われた。本改正は、2000年5月にすでに承認されており、今次会合においてほぼ原案通り採択された。発効は2002年7月1日。航海データ記録装置(VDR:Voyage Data Recorder)の設置が勧告された。VDRは、1994年に起きたエストニア号の事故を契機に、海難事故の原因を究明するために船舶の針路、速力および船橋での会話等を記録する設備として、 欧米を中心とした国々により提案された設備である。改正案は、2002年7月1日より、すべての旅客船と3,000GT以上の新造貨物船に適用することとなっているが、 米国を中心に欧州諸国は現存貨物船にも段階的に適用すべきとの主張を行った。日本は、VDRは実績のない新規設備であるため、現存貨物船を含めた広範囲の船舶への設置を義務付けるには問題があり、 現段階では旅客船および新造の貨物船に限定すべき(MSC72で承認された改正原案どおり)との主張を行い、多くの国の支持を得、原案通りで採択された。 ただし、今後、現存貨物船への適用可能性について、IMOにおいて引き続き検討を行うこととなった。
当事者ヒアリング 救出された甲板員のAさん「船が傾き、沈み始めたら、何も考えている暇はなかった。ひたすら力一杯、走りまくって逃げた」
データベース登録の
動機
800名を超す死者・不明者を出し、戦後、欧州海域最大の海難事故となったので選択した。
シナリオ
主シナリオ 無知、知識不足、教育・訓練不足、不注意、注意・用心不足、企画者不注意、環境変化への対応不良、使用環境変化、自然的条件変化、嵐、誤判断、狭い視野、発見遅れ、破損、大規模破損、沈没、身体的被害、死亡、身体的被害、負傷、船
情報源 http://news.bbc.co.uk/2/hi/in_depth/36529.stm
http://www.mlit.go.jp/kaiji/imo/iinkai/iinkai00/msc73_.html
死者数 852
負傷者数 137
物的被害 エストニア号および乗船客の貴金属や持ち物など数々の物品。
社会への影響 多くの犠牲者を出したエストニア号の沈没事故は有名で、人々はショックを受けた。
備考 生存者は137名で、なんらかの負傷があったと仮定して、負傷者137名とした。
分野 機械
データ作成者 エツタイノ (SYDROSE LP)
中尾政之 (東京大学工学部附属総合試験所総合研究プロジェクト・連携工学プロジェクト)