失敗事例

事例名称 エンジン故障による軍用輸送機墜落で84名が死亡
代表図
事例発生日付 1997年12月06日
事例発生地 ロシア連邦イルクーツク州
事例発生場所 イルクーツク軍用飛行場付近の住宅地
事例概要 1997年12月6日、戦闘機2機を搭載したA社製大型輸送機B型が、イルクーツク軍用飛行場からウラジオストク空港へ向けて出発。離陸直後、機体は同軍用飛行場付近の住宅地に墜落・炎上。このため現場周辺で大火災が発生し、鎮火までに2日を要した。この事故で、搭乗していた乗員乗客23名全員と地上の住民61名が死亡。発見されたフライトレコーダーにより、原因はエンジン故障であることが判明した。事故後回収された遺体は火災による損傷が激しく、身元確認作業は難航した。
事象 事故当時の天候は良好。航空燃料およそ100トンとスホーイ27型戦闘機2機を搭載した世界最大級の軍用輸送機は、ウラジオストク空港をめざしてイルクーツク軍用飛行場を出発。離陸直後に、4基あるエンジンのうち3基が故障。これにより高度を下げた事故機は、同軍用飛行場付近の住宅地へ墜落。その衝撃で航空燃料に引火、爆発が発生し、近隣のアパートビルをはじめとする建物複数棟が炎上する大惨事となった。事故機の乗員8名と乗客15名は全員死亡。事故後、救助隊が出動して救助活動を行ったが、2日間にわたる火災と氷点下25度の寒さに阻まれ、生存者の捜索は早々に打ち切りとなった。45名の遺体を回収した時点で39名の行方不明者があったが、全員火災に巻き込まれて焼死したものと思われる。重軽傷を負った12名は地元の病院に搬送され、手当てを受けた。
経過 事故機はロシア極東のウラジオストク行きで、その後ベトナムに向かう予定だった。12月6日午前9時45分頃、事故機はイルクーツク軍用飛行場を離陸。高度およそ300フィート地点で機体左側にある2基のエンジンが誤作動を起こして故障、相次いで機体右側のエンジン1基も故障したため、機体はそのまま降下し、離陸後21秒で同軍用飛行場付近の住宅地に墜落した。事故機は燃えさかる残骸を大量に撒き散らしながら、街の大通りを猛スピードで進み、付近にある孤児院への衝突こそ免れたものの、48戸が入った4階建てのアパートビルに激突、現場は炎に包まれた。なお、この事故による火災は2日間続いた。救助隊が駆けつけ、瓦礫の中から12名を救出、病院に収容した。翌7日からは、約1400名の消防士や兵士・救急隊員らが事故現場の徹底調査を開始し、救助隊と捜査当局は重機と犬を動員して、あたり一面に広がる瓦礫をかきわけつつ生存者を捜索した。この日正午までに確認された遺体は47名。折からの火災とマイナス25℃にもおよぶ厳しい寒さのため、生存者の捜索は8日夜いっぱいで打ち切りとなり、9日早朝からはクレーンを使った瓦礫の撤去作業に移行した。
原因 事故直後は過積載が原因ではないかという見方もあったが、事故機に搭載されていた3台のフライトレコーダーのうち2台を解析した結果、ほとんどノイズのない状態で墜落していることから、明らかにエンジンが機能していなかったことが判明した。つまり、4基あるエンジンのうち、機体左側の2基が離陸直後に誤作動により故障し、ほぼ同時に機体右側の1基が故障したことが墜落の原因である。ただし、シャポシュニコフ大統領補佐官は、航空燃料の質が劣悪なことも一因に挙げられると述べた。また、事故現場で2日間に及ぶ大火災が発生したのは、墜落の衝撃によっておよそ100トンの航空燃料に引火・爆発したためである。加えて、80名を超える死者が出た原因は、激しい火災のために現場へ立ち入ることが困難だったこと、マイナス25℃という厳しい寒さのために行方不明者の生存が絶望視され、事故発生から3日後に生存者の捜索が打ち切られてしまったことにある。
対処 事故機の乗員は墜落する直前まで、なるべく住宅密集地を避けて、建物のない地区を目指して機体をコントロールしようとしていた。墜落後、現場近くの孤児院では約150名の児童が避難し、避難者は総計391名にのぼった。事態を重く観たエリツィン大統領は事故調査を命じ、その指揮を任されたチェルノムイルジン首相が12月7日早朝、事故現場を訪れ救助活動の視察を行った。氷点下25度の環境での生存は絶望的として、ロシアの救助隊員は生存者捜索を8日いっぱいで打ち切り、9日以降はクレーンを用いて、墜落で生じた瓦礫の撤去作業を始めた。事故機のフライトレコーダーは、損傷がひどい1台も含めて3台全てが8日夜にモスクワへ送られ、解析されることとなった。軍の検察官は犯罪捜査に乗り出し、政府は飛行法規および飛行準備法規違反の可能性について徹底調査を行うとのことだった。
対策 ロシアの国防省は、この事故の原因が判明するまで、A社製大型輸送機B型機全便の航行を差し止めた。
知識化 機体の安全性に問題があると分かった時点で徹底的な改善を断行しなければ、同じような事故を繰り返すだけでなく、さらなる大惨事をも引き起こす恐れがある。
背景 1991年のソビエト崩壊後、国営航空会社だったアエロフロート社が400もの民間企業に分割されて以来、旧ソビエトの軍用航空機は安全面での問題が慢性化していた。今回の墜落は、1992年以降に発生したA社製大型輸送機B型機関連の5回目の事故である。専門家は、ずさんな整備や安全基準違反、経費削減などが一連のトラブルの原因だと指摘。これに対してロシアの航空当局は、航空機の検査基準引き上げ努力の甲斐あって安全性は改善している、と発表している。なお、A社製大型輸送機B型の製造元であるA社のエンジニアによると、同機は飛行中に何らかの異常が発生すると、左側エンジンの機能が自動的に停止してしまうとのこと。
後日談 地方自治体は銀行口座を開設して、事故の犠牲者への募金を受け付けたところ、東シベリア鉄道から17万ドル、ロシア正教会から5万ドルの寄付の申し出があった。
よもやま話 航空当局によると、1996年の1年間にロシア領空内で43件の航空事故が発生し、219名が死亡したとのこと。
データベース登録の
動機
この事故は、国と製造元双方に信頼性管理の甘さ・杜撰さがあったことが浮き彫りになった稀有の災害であり、そのことに強い印象を受けた。
シナリオ
主シナリオ 組織運営不良、管理不良、組織運営不良、運営の硬直化、品管制度不備、定常動作、誤動作、計画・設計、計画不良、不良現象、化学現象、引火、破損、大規模破損、衝突、破損、大規模破損、全焼、身体的被害、死亡、身体的被害、負傷
情報源 http://news.bbc.co.uk/2/hi/in_depth/38020.stm
http://more.abcnews.go.com/sections/world/planecrash1206/
http://www.cnn.com/WORLD/9712/06/russia.crash.pm/
http://sukhoi.s7.xrea.com/syogen.html
http://www.aerospace777.com/newslog/log/200112/20011221o.htm
死者数 84
負傷者数 12
物的被害 48戸が入った4階建てアパートビルおよび家屋5棟が全壊。A社製大型輸送機B型の大部分が損壊。積荷のスホーイ27型2機。
被害金額 1億300万ドル。ただし、A社製大型輸送機B型機1機およびスホーイ27型機2機の価格のみ。算出根拠は情報源を参照。なお、スホーイ27型機の価格については、円表示となっていたため、1997年12月7日の為替レート(1円=0.007678ドル)をもとにドル換算した。
備考 死者数については、45名の遺体を回収した時点で存在した39名の行方不明者も火災によって焼死したものとし、合計84とした。墜落したA社製大型輸送機B型機は総重量340トン、1986年製。
分野 機械
データ作成者 サトミヨコタ (SYDROSE LP)
中尾政之 (東京大学工学部附属総合試験所総合研究プロジェクト・連携工学プロジェクト)